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ブロンズ像「Pocket(ポケット)」

ブロンズ像「Pocket(ポケット)」

社台グループ創業者・吉田善哉(ぜんや)と愛馬・ノーザンテーストの等身大像

1989年7月22日 ノーザンホースパーク開園日に行われた同銅像の除幕式では、自身がモデルの等身大像の横に感慨深げに立つ旧・社台ファーム代表(のちの社台グループ)故・吉田善哉の姿がありました。二男・勝己の、馬とのふれあい、馬術の普及を通じた馬事振興と北海道の発展を目的としたテーマパーク「ノーザンホースパーク」建設の構想に対し、“競走馬以外の事業”に暫くは難色を示していた善哉でしたが、このときばかりはその険しい表情を緩ませていました。

「ノーザンテースト」は1971年生まれのカナダ産サラブレッドで、当時7年連続で国内チャンピオン種牡馬の座に輝いていた名馬です。代表産駒の1頭「ダイナガリバー」が善哉の50年越しの悲願であった「日本ダービー」を優勝するなど、社台ファームに多くの喜びをもたらした、善哉にとってはかけがえのない愛馬でした。

吉田善哉は当時欧米諸国に大きく遅れをとっていた日本競馬に海外の「血統」を導入し、今日の国産サラブレッドによる世界的活躍の礎を作った人物として知られています。2005年に無敗のクラシック三冠馬として名を馳せた「ディープインパクト」の父「サンデーサイレンス」をアメリカから日本へ輸入したのも善哉でした。

ブロンズ像制作の背景には、「馬とホーススポーツを愛するすべての人たちのためのパーク」のシンボルとして、その活躍で日本競馬を愛する人たちに夢を与え続ける日本一の種牡馬をモデルにしたかったことと、日本競馬の発展に人生のすべてを賭ける父が生きているうちに、自身の銅像を見せたいという勝己の強い想いがありました。

ノーザンホースパーク開園当時はノーザンテーストも善哉も揃って現役で活躍中。「“生きてるうちに銅像なんて建てやがって”と悪口言われないかね?」と、初めは気後れしていた善哉も「どうせ建てるなら生きているうちじゃないと。本人が見られないんじゃつまらないからね」とその完成を密かに心待ちにしていたといいます。

この除幕式から4年後の夏、善哉は日本競馬への情熱とロマンに満ちた72年の生涯を終えました。告別式後に関係者の計らいで、棺を載せた車が種牡馬たちの前を通り過ぎようとしたとき、その様子を見ていたノーザンテーストは大きくいなないたといいます。それはまるで、先立つ友に別れを語りかけるかのようでした。

その後ノーザンテーストは日本競馬史に残る数々の記録を打ち立て、2000年に種牡馬を引退。2004年12月、社台スタリオンステーションにて老衰のため、33歳で善哉の元へと旅立ちました。
強い運命で結ばれたひとりと一頭。ポケットに愛馬へのご褒美を忍ばせた善哉は、今日も馬と馬を愛する人たちをあたたかい眼差しで見守っています。
※吉田善哉および種牡馬についてのさらなるストーリーは、ノーザンホースパーク内「ホースギャラリー」にてご覧いただけます。

設置
1989年7月
サイズ
高さ174cm×幅318cm×奥行60cm
(台座:高さ57cm×幅300cm×奥行153cm)
作者
堤磐夫